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奈良県牛乳商業組合

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地球という惑星の日本という国の(中世)の頃のおはなし・・・

わが国の牛乳飲用の歴史も意外に古く、飛鳥時代にまでさかのぼります。

欽明天皇の時代、朝鮮半島に遠征した 大伴狭手彦呉国の主・照淵の子孫で 百済にいた 知聡をつれて帰国しました。

そのとき知聡は、仏像などとともに、医薬書164巻をもってきました。そのなかに牛乳の薬効や乳牛飼育法の記述もあり、これによって知識が伝わりました。

もともと帰化人のあいだでは牛乳飲用の習慣があり、飛鳥時代、知聡の子の 善那が始めて 孝徳天皇に牛乳を献上しました。

天皇は牛乳を飲んで大いに喜ばれ、牛乳は人の体をよくする薬、善那は薬を管理する医者であるとして、彼に和薬使主 という姓を与えられた、と平安初期の【新撰姓氏録】に記されています。

和薬使主(くすりのおみ)という言葉からもわかるとおり、牛乳は貴重な薬とされていたようです。

この『善那』は【類聚三代格】には『福常』 となっていますが、同一人物です。『福常』があとから天皇にいただいた日本式の名です。

ちょうど大化の改新のころで、福常は太政官典薬寮の職掌『乳長上』という職に任ぜられました。

福常の子孫は代々この業を伝えて朝廷に仕え、 京都右近の馬場西に典薬寮の別所として乳牛院がおかれ、摂津国味原に牛牧の牛をつれてきて乳を搾って代々、朝廷に献上するようになります。

しかし、古代から平安期にかけては、牛乳や乳製品を口にしていたのは主に貴族でした。

天武天皇の孫で、奈良時代初期の悲劇の 宰相長屋王の邸宅跡から、約3万点の木簡が出土しました(S63.9.12)。 奈良国立文化財研究所の調査ですが、木簡には 『牛乳持参人米七合五夕』 『長屋親王宮鮑大贅十編』、『鶴二隻米□升』 、などの記述があったそうです。

これらの古代乳製品は貴重な栄養食品として、当時の絢爛たる仏教文化を築く原動力となりました。

その宰相長屋王の邸宅跡がある奈良県に、、、

奈良県牛乳商業組合があります。

イラスト提供:牛飼いとアイコンの部屋